10月XX日 


今日ふいに新聞の販売員が訪ねてきた。

前々から新聞をとりたいと思っていたので、 販売員に言われるまま明日から新聞をとることに、 やはりロケンローラーと言えども新聞くらい読まなければならない。

なんかチケットとかいっぱい貰った。

木下大サーカス、映画、ひらパーの菊人形、吉本新喜劇、展覧会のチケットやビール券 それに安っぽいタオル、巨人軍二千年優勝記念の選手とかの顔メダル。

…うーん玉石混合。 いらないチケットとかチケット屋さんでお金に替えられないだろうか。

かつて私はファミレスでバイトしていたころ、 給与明細に付いてきた、食事代金25%オフになる優待券を チケット屋に売りに行ったが結局、断られてしまったことがある。

閑話休題

あとこれから貰えるものが中華鍋と洗剤。
重いし、かさばるので、あまり持ち歩かないんだろう。
洗剤は蛍光剤の入ってないものがいいと言ったが、 さすがにそこまでは聞き入れてもらえなかった。

でも新聞をとったら本当に洗剤が貰えるなんて、まるでドラマみたい。
もしかしたら世界はドラマに充ちているのかもしれない。


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10月XX日 

『序』
ジーパン…一昔まえまでは素直にかっこいいかんじだったが、 最近では紙一重のような気もするジーパン。
だいたい名前からしてかっこいいか微妙である。
ジーそしてパン。 分割すると一目瞭然。ジージャンも又、しかりである。
ジーそしてジャン …ほらね。 これからの文章を「俺は産着に始まり、リクルートスーツすら生地はデニムさっ」ていうくらいのヘビーデニマーに捧げます。

『私事』
最近、ゴム長を履く機会に恵まれ、お気に入りのジーパンにゴム長という格好で歩きまわっていた。
しかしそうするとスネからしたの下の、ゴム長と擦れるところがクチャクチャッとした、なんかいけてない色落ちをしてしまうことが判明。
ジーパンをロールアップしてからゴム長を履くといった対応策をとったものの、落ちた色がもとに戻るわけでもなく、 私は一週間のうち五日は履いていたというぐらいの、本当にお気に入りだったジーパンをあまり履かなくなってしまった。
そのジーパンは去年「なんか形とかとびきりいいかんじのジーパンが欲しい」とふいに思い立った私が、いろんなお店に行って、いろんなジーパンを履きたおした結果えらんだ、ベリーベストなジーパン。
…そんなジーパンをあまり履かなくなったことで、出かけるときなに着ていこうかと考える時間が長くなったとか、ならないとか。
ジージャンにジーパンという上級デニムルックでスターライトを唄う光ゲンジに影響を受け、ケミカルウォッシュのジーパンを母に買ってもらってから十余年。

途中、数年間のブランクもあったものの、それでも十年ほどのつきあい。
そんな自分の最近の大きな関心事というのがジーパンの色落ちのさせ方だったりする。しかしどうもうまいぐあいに色落ちさせることができない。

『そこで私は考えた』
何故うまいぐあいに色落ちしないのか。
…普段の生活の中でうまいぐあいに色落ちさせるような動作をすることが少ないから。
結論、「だれか自分の代わりにジーパンを色落ちさせてくれる人…ジーパン色落とし屋さんなんかがいたらいいなぁ」普段、倉庫でバイトしたりしてる人をたくさん登録させといて、自分の体型に近い人を選ぶ。

出どころのはっきりしない、いいかげんな情報とその記憶を頼りに話を展開すると、パブロ ピカソは貧しく夫婦で一本のパンツしか持っていなかった時期があり、そのときは夫婦そろって外出することが出来なかったという。でも、もしもピカソがジーパン色落とし屋さんだったら、夫婦二人で仲良く外出することがあったかもしれない。

色落ちのためにモンマルトルの丘、オープンテラスのカフェでカフェオレ片手にフランス相撲なんかとって愛が深まっていたかもしれない。二人の関係は円満なものになって、ピカソは後々ひどくとし老いてから十代の娘と再婚することもなかったかもしれない。

…で、中には伝説的なジーパン色落とし屋さんてのがいて、日常のありふれた動作の中から芸術的な色落ちを生み出す、やろうとおもえば色落ちで「昇り龍」とかもできる、このあいだなんかは山高帽をかぶった英国紳士の依頼でタータンチェックの色落ち 創ってたっけ
…あくまで日常的な動きの中で。

さらにそのジーパン色落とし屋さんと双璧を成す、もう一人の伝説的ジーパン色落とし屋さんてのがいて、その人は「昇り龍」とかはできないかわり、かなりリアリティとドラマのある色落ちを創ることができる、その人の作品をA級色落ち鑑定人なんかが見れば、このジーパンの主は十二月生まれの山羊座で、過去に盲腸の手術を受けたことがある、なんてくらいはすぐにわかってしまうという、いかにしてそのリアリティやドラマを生み出すかというと 例えばウ"ィンテージっぽく色落ちさせたかったら、アメリカまで金を掘りに行ってしまうというから、そのこだわりぶりには頭が下がる。
でも最近の流行りはゴールドラッシュ時の野暮ったいウ"ィンテージ風色落ちでなくて、読んだこと無いけど多分、大沢在昌とか大藪春彦の小説の主人公みたいな感じ、例えば名前は鯨幕 豪とかいって都会的でワイルドセクシーアクションハードボイルド色落ち、上半身はだかにジーパンみたいな…クライアントの要望に応えるため、ホテル最上階のスウィートルームでいいかんじのベットに横たわり、 その逞しい腕には半裸のブロンド美女キャサリンが抱かれていたりして、ワイルドセクシーアクションハードボイルド路線が故に時にはそんな状況下、向かいのビルの屋上から狙撃されたりして。
「ダァーーーン!!」轟く銃声、しかし銃が撃たれるより一瞬早く殺気を感じた鯨幕はサイドテーブルに置いてあった彼の愛銃グロック17を左手で掴み、キャサリンを右手で抱き締めたまま身を翻しベットの脇に転げ落ちた。
0,2秒前まで鯨幕の体があった場所、ちょうど左胸があったあたり、布団には穴が開いていて周囲には 鳥の羽がフワユラと漂う。鯨幕はキャサリンを連れてクローゼットの陰で身を伏せる。なおも続く執拗な攻撃、二人の頭上10cmを弾がかすめていく。震えるキャサリンを強く抱き締め、どこまでも優しく、そして説得力のある声で「いいか、ここは俺が囮になって奴を引き付ける、その間おまえはこの部屋をぬけだし、非常階段から逃げ出すんだ。そうしたら蛸薬師通りに探偵事務所をかまえる俺の刑事時代の同僚の滝沢という男をたずねろ」そしてどこからともなくビロードのガウンを取り出し キャサリンの体にそっと被せる。

「滝沢はいい男だ、きっと力になってくれる。四十八時間後ラパン アジルでおちあおう。…わかったら 行くんだ」鯨幕の言葉に対して自分自身に言い聞かせるようにうなずくキャサリン、一瞬、下唇を強く噛み締めると部屋の出口にむかって走り出した。それをみて鯨幕のなんとも言えぬ感情からの小さな溜め息、そしていっそう強くグロック17を握り締めた。

 

9月20日 
今日は後期授業再開の日。

朝の八時起きという事態に「それは修行ですか。」とツッコミを入れた。

果たしてタイヤの空気が抜けかけた自転車で二十分ほどかけて学校へ。朝九時の授業開始に間に合ったのは、新学期に由来する心理的作用のため、それは新学期の神秘である。

一時限目は流体工学2。
第一回目の授業ということで、この科目の概要を説明していたが、概要だけあってテストにはあまり出なさそうだ等の観点から、ほとんど話を聞かず。

一時限目が早く終わり二時限目と間があったので、成績表を事務室まで取りに行った。
成績は意外と良く、前期期末試験において、 いいかげんな答ばかり書いていた覚えのある物まできちんと単位が取れていた。


だから馬鹿な大学生が増えていると言われるのかもしれない。


…それでもまだまだ間があったのでセブンティーンのアイスクリームを買って食べた。 抹茶が気分だった。

二時限目はロボット工学、これも概要のためほとんど話を聞かず。
次の昼休みは食堂で日替り定食を食べた。
今日の日替りはいつもより手がこんでる気がして、これもまた新学期の神秘の一つかもしれなかった。

残りの昼休みを利用して、図書館へ行った。 文庫で小島信夫の物を探したが、見当たらないのでパソコンでその作品を検索すると、昭和文学全集 第21巻とあった。

なんてでかくて重そうな本だと思った。

三時限目は実験のガイダンスだったが、五分ほどで終わった。
余った時間、学校のパソコンでヒマステのHPにアクセスしようと思い、情報処理室へむかった。

パソコンでインターネットなどほとんどした事がなかった私は、たまたま部屋にいた、同じ学科の、顔は知ってるけど名前までは知らないといった知人に 「ごめん、これどうやってしたらええんかなあ。」と尋ねた。
自分の偽シタシゲぶりに嫌気がしたが、友人は親切に教えてくれた。
しかしその後、ログインするとき必要なパスワードを間違えて覚えていたことが判明、十五分ほど記憶の糸を手繰り寄せるが失敗。

あきらめて帰り際、工学部の掲示板をチェック。以前、受講していた国語学の講義が休講になっていた。
国語学を教えていた教授はインチキ臭かったが講義はそれなりに好きだった。

休講の理由の欄には死去と書かれていた。よくみると死去の去の字が歪んでいて、どうやら死亡を死去と無理やり書き直したらしかった。
教授は言葉や文字にこだわる人だったので、それなりにおかしかった。

帰り道、平和堂によった。「昭和文学全集 第21巻」が肩に重いながらも文庫版「美味しんぼ」3,4巻を立ち読みしてきた。
その後、食品売場に行き、野菜ジュースなど買った。健康を意識してしまうのは生への執着のためか、あるいは死への恐怖のためか、などと頭をよぎったが、めんどくさくて考えるのを止めた。

店の外に出ると、日は傾いて涼しい風が吹いていた。いきなりの秋の気配に焦った。


9月17日 
モーリスユトリロの描いた白い風景が好きな私は、このあいだユトリロとその母ヴァラドンの絵の展覧会に行ってきました。

展覧会に行くと言っても、全然殊勝な感じでなくて、このまえルーベンスの絵を観に行ったときも、 どこからか犬を盗んでパトラッシュと名付け、その絵の前で一緒に凍え死んだらロックだ!!なんていう幻想が頭から離れず一苦労。

でも自分だけでなく、周りの人間もけっこう馬鹿っぽくて 「大きい絵やねえ」とか「この絵ぇの人、足、短いなぁ」とか、海外旅行の自慢話しとか好き勝手のたまう。 多くの人間にとって美術館とは美術を楽しむためにあるのではなく、 知的な自分を他人、あるいは自分自身に演出するためにあるのかもしれない。 話をユトリロに戻すと(以下、不本意な文章のため略。)